top of page
境内伽藍Within precinct
本堂
当初、裏山の古墳台上に建てられたが、寛文年間の初めに焼失した。四世円耀は、火災から本尊聖観世音菩薩の尊像を守り、寛文六年(1666)同地に再建した。
その後、明和元年から安永四年(1764~1775)にかけ、十世泰応によって、古墳台上より現在の地に移築された。建物は概ね三百年を経ており、本尊をはじめ八仏像が安置されている。
内仏殿・庫裏
本堂と同時期に再建され、修復されながら現在に至っている。
内仏殿には、阿弥陀如来・天台大師・伝教大師が安置されている
仁王門・鐘楼
寛政4年(1792)に再建された。仁王門の由来は不詳なるも、「間山高福寺門の仁王像を移した」との説がある。
建物は町指定重要文化財になっている。
中門(龍虎門)
文政9年(1826)に再建される。
総ケヤキ造りで龍と虎の非常に繊細な彫刻が特徴である。
植月寺山古墳(観音寺古墳)
中四国最大級の前方後方墳が裏山にある。鍵穴のような独特の形をしており、その規模は全長約90メートル、高さ約4.5メートル。内部構造は不明であり、盗掘痕も認められないという。古墳時代前期の築造と考えられ、この地域を治めた首長の墓だとされる。
十王堂(護摩堂)
寛永八年(1631)、天台伝教二大大師像を安置する祖師堂として創建されたが、寛文二年に永昌寺の本尊阿弥陀如来と十王尊等の諸仏を併置したことから十王堂と呼ばれている。また、平成28年の本堂改修の際に本堂から護摩壇、青色不動尊像を移設したため現在は護摩堂とも呼んでいる。
弁天堂
宝永六年(1709)に創建され、安永六年と昭和四十八年に改修される。
境内建立像塔碑
法界地蔵尊立像(安永四年建立 1775)
宝篋印塔 (明和~安永年間建立 1767~1777)
水子地蔵立像(昭和五十五年建立)
歌碑(昭和六十年建立)
bottom of page